2012年1月アーカイブ

当時の電話の普及ぶりからみると、ベルの音に仕事をしばしば中断させるようなことも考えにくい。


とすると、食わず嫌い、というものではないだろうか。


いつの世にも、新しいものをただ新しい、というだけで忌避する人がいるものです。


電話をかけながら、頭を下げたりする光景は、今日でもよく見られるが、この『ひかえ帳』にもすでに登場しています。


料理の註文を承はれる男の、電話の前に丁寧に頭を下ぐるを、女中達の見て一時にどつと笑ひ出せば、何がをかしい、お屋敷からちやないか。


このように、エーユー 大和などの携帯電話という媒体を忘れて、ときには頭を下げたりしながら話をすれば、誠意は必ずや相手につうじるにちがいない。


このことは明治もいまも変わってはいない。

いまでは、誰が、どこから電話しようと、たとえ、衣きらきらの老僧がau 大和などの携帯電話で話していても、法事の帰りに急用でも思いだしたのか、くらいにしか考えない。


明治30年の東京の電話加入数は3370にすぎなかったので、電話の利用経験者もかぎられており、このことが「似合はしからず覚えぬ」になったと思われます。


この作者は、明治31年に『ひかえ帳』を著しているが、ここにも電話が登場する。


今の世に取分けて好かぬ物はと、飽くまでわれを片意地に仕倣したる人の、わざとの如く問寄るに答へて、壮士芝居と電話と、瓶詰の酒と也。


一たびも自ら読へしことなし、観しことなし。


壮士芝居は明治12年、電話交換は23年にはじまっており、瓶詰の酒は明治11年ころからつくられています。


これらはいずれも、当時の人びとを驚かせ、あるいは興味を抱かせるに十分でした。