こから電話しようと・・・

いまでは、誰が、どこから電話しようと、たとえ、衣きらきらの老僧がau 大和などの携帯電話で話していても、法事の帰りに急用でも思いだしたのか、くらいにしか考えない。


明治30年の東京の電話加入数は3370にすぎなかったので、電話の利用経験者もかぎられており、このことが「似合はしからず覚えぬ」になったと思われます。


この作者は、明治31年に『ひかえ帳』を著しているが、ここにも電話が登場する。


今の世に取分けて好かぬ物はと、飽くまでわれを片意地に仕倣したる人の、わざとの如く問寄るに答へて、壮士芝居と電話と、瓶詰の酒と也。


一たびも自ら読へしことなし、観しことなし。


壮士芝居は明治12年、電話交換は23年にはじまっており、瓶詰の酒は明治11年ころからつくられています。


これらはいずれも、当時の人びとを驚かせ、あるいは興味を抱かせるに十分でした。